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"才能"に囲まれて「心が折れた」。そこから自分の強みを見つけるまで。

話を聞いたらいろいろ出てきそう。なんだか、ほじりがいがありそうだ。ABEJAには、そう思わせる人たちがいます。何が好きで、どんなことが大事だと思っているのか。そんなことを聞き書きしていくことにしました。

1回目は、中川裕太さん。

大学時代、友人たちに、頑張っても追いつけない気持ちをいつも抱えていたそうです。「ああ、僕はこんなにアイデア出てこない」と。
そこから自分の強みをどう見つけられたのか。聞いてみました。

高校時代、息抜きでプログラミングしていた。

ー前橋高校から東大入って大学院でロボット工学やったんですよね。東大入る時に、もうすでに「ロボット工学をやりたいな」って?

中川: 全然そんなことないです。したいことがなかったから、行った感じですね。高校時代はずっと部活やってて。他にとくにやりたいことがなかったんですよ。みんな割とそうだと思うんですけど。

逆に、専門とか行くヤツはやりたいこと決まってて「すごいな」とか思ってた。部活はテニス部で関東大会に行きたかったんですけど、全然行けず。「じゃあ勉強だけはとりあえず東大入っておけば日本一ぽいな」と。そんな理由でとりあえず東大に行くっていう。

ーテニスもやりながら、ものづくりしたい気持ちはあった?

中川: ありましたね。小学校の文集には「研究者になりたい」って書いてたらしくて。

ーでも、なんで研究者?

中川: 分かんないです(笑)。高校時代はプログラミングをちょっとやって。

ーどこかで習ってたとか?

中川: 習ってない。独学です。

ーきっかけは?

中川: 確か、ゲームを作りたかったんですよ。ゲームやってて「絶対これ、自分で作ったほうが面白いな」って思ったり、クリアすることよりも「どうやって動いてるんだろう?」ってことに興味が湧いたり。

ーゲームのどこを見ててそう思う? 

中川: 当時は、『RPGツクール』(https://tkool.jp/mv/index.html) っていうゲームを作るゲームが好きで。そこから「もっと自由にいろいろ作りたい」と、プログラミングを始めた。そういう人、結構多いですよ、たぶん。

ーで、そこから情報系に。

中川: はい。で、プログラミングやっていたら学校の宿題なんかも「パソコン使って解いたほうがラクだろう」ってなり(笑)

ーたとえば?

中川: グラフを描く問題って、式を見て描いたりするじゃないですか。それ面倒くさいなと思って。プログラムなら、コンピュータに打ち込んだら、そのグラフが描けるということが分かって。「宿題、全部これでやればいいじゃん」って思ってプログラムを作りました(笑)。部活もやってたんで忙しくていろいろ省力化したかった。Excelだと立体的なグラフまでは描けないんで。

あとはこれ、親も知らないと思うんですけど、勉強の休憩時間にプログラム書いてた。

ー勉強の休憩時間って、どういうこと? 

中川: 家に帰って予習復習やって「ああ疲れたな」と思ってプログラミングやる。それからまた2時間勉強して。疲れたら30分プログラミング書いて、「よし、回復した」って思ったらまた勉強する。

ーえ、気休めでプログラミングやってた!?

中川: はい。(笑)3DCG(3次元コンピュータグラフィックス)も好きでした。ゲームを作ってるとキャラクターのデザインが面倒くさいんですよ。僕、絵は下手だし。このキャラを横から見たときにどうなるんだろう? と考えるのは面倒くさいよなと思って「じゃあ、3Dのモデル作ればできるんじゃないか?」ってやったのが、最初に3Dを勉強したきっかけです。

ー全部ゲームからなんですね。

中川: 最初はそうですね。まあ大学行ってからもそうですね。

ーロボットやろうと具体的なイメージが出たのは、何年生ぐらい?

中川:僕、ロボットがやりたくてあの学科に行ったわけではなくて。なんか、人間知りたくて行ったんですよ。あともう1個は、さっきのゲームの話からも続いているところがあって

人の動きを自分でコンピューターグラフィックスで作ろうとすると、どこか不自然なんですよ。ソフトテニスのゲームを作ろうとしたとき、たとえばプレイヤーが遠くのボールを撃ち返そうとする仕草をCGで再現しようとしてもうまくいかない。「あれ、俺いつもどう打ってんだっけ?」って。

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遠くのボールを撃ち返そうとする中川さん=2019年9月

ー確かに浮かばない。

中川: だったら、CGの身体自体を人間と同じようにモデリングしてあげて、環境とのインタラクションでその動作が生成されていったら、すごい自然なアニメーションになるんじゃないかと思って。

優秀な人たちに囲まれて「心折れた」

中川:東大に行った理由のひとつは、優秀な人たちに囲まれて、そういう人たちといろいろディスカッションできる環境が面白そうと思ったこと。その中でも優秀な人が多そうな「機械情報工学科」に行くのがいいかなと思って行った。

ーその選択は、期待どおりだった?

中川: そうですね。機械学習の競合他社に同じ学科出身のヤツもいる。飲んだときに最新情報を交換できたりとか。「世の中こうなっていったほうが面白いよね」みたいな話もできるしよかったです。

ー小学校の文集には「研究者になりたい」と書いたのに、ならなかったのはなにがあったんだろう。

中川: キレイごとなしに言えば「心折れた」って感じです(笑)

ーどういうところで折れた? 

中川: やっぱりみんな優秀だし。

ー「優秀」ってどんな?

中川: 自分が半年間考え抜いて「この理論でこういうものを作ったら、新しいんじゃないか」と取り組んで、やっと実装できたとします。ほかの友だちに「こんなの作った」と言うと、すぐに「でも、ここってこういう弱点あるよね」とか、「もっとこんな改善ができたんじゃないの」「なんか惜しいね」とか言われる。それがまっとうな指摘なんですよ。半年かけて考えたことに、すぐ弱点を見つけられたり、自分が思いもしなかった改善点をあげられたりすると、「あぁ、この世界で戦っていくの、しんどいな」って。

ーそういう友だちは、どんなのを作ってた?

中川: 完璧ではないですけど「それは思い付かなかった」っていうモノが多くて。機械学習の分野では知られてる加藤(加藤大晴 氏)という男がいるんですが、彼は同級生です。アイデアマンで「なるほど!」とうなりたくなる斬新なアイデアを出す。しかも、ちょっとしたタイミングでポンポンポンポン出てくる感じなんですよ。

大学3年ぐらいから「自主プロ(自主プロジェクト)」っていうカリキュラムがあったんですよ。1カ月あげるから自分で好きなものを作ってこい、という。みんな思い思いのものを作ってくるんですが、強い連中は「ああ、ほんとスゲーな」みたいなモノを作ってくる。

ーその「スゲーもの」って、説明できます?

中川: まず見た目がすごい。たとえば、加藤は仲間と「ARマリオカート」を作って自主プロのグランプリ賞をもらってた。車を作って、そこにカメラをくっつけて、プレーヤーはそのカメラから見える風景を画面で見ながら運転をコントロールする。コースの途中にARの技術を使ってアイテムが落ちてるようにした。たとえば3 D のキノコが画面に出てきて、そのキノコを踏むとトルクが吹いて加速する仕掛けまでつくった。使ってる技術はそんなに難しくないんですけど。

ーその発想がすごいなと思ったんだ。「なんでこれを作ろうと思ったんだ?」みたいな自由な発想ですよね。

中川:そういうのを見て「ああ、僕はこんなにアイデア出てこない。ゼロイチベースで何かを生み出すアイデアマンには全然かなわない」と思って。

当時は研究者はゼロから何かを生み出してナンボ、と思いこんでました。「精度を1%上げました」より「今までできなかったことができるようになりました」というのが、やっぱり研究のあるべき姿だ、と。そうすると研究の世界では自分は全然通用しないなって。アイデアが全然浮かばなかったから。

ー自分の中の限界を見てしまった。

中川:という感じですね。頑張って頑張って追いつこうとするんだけど、自分が思ってたよりもずっと上にいるから全然追いつけないって当時は思ってました。この世界で戦うのはしんどいなと思ったのが、社会に出たひとつの理由です。

ー自分よりすごい人ばかりの環境に身を置くって、つらい面もあると思うけど。

中川:いや、幸せなのは間違いなかった。優秀な人たちと議論するのは面白いし自分が成長できる。それと同時に悔しさと言うか「やっぱり勝ちたい」という想いがあった。

ー「心が折れた」っていうのは、いい意味であっさり切り替えたのか、それともしばらく悩んで最後に「うん、やめよう」みたいな感じだった?

中川:後者でしたね。さっき出てきたような人たちとまっとうに張り合って研究していく世界って、しんどいな、無理だな、と。とはいえ、やっぱり研究が好きだったので、競争のないところで、好きな研究をしたいっていうのもありました。

当時、なぜ人間がこんなにダイナミックに動けるのかを明らかにしたいと思って研究してました。このテーマはスポーツ医学あたりに応用できると思うんですけど、それほど金にならない。金にならない研究は現実的に難しいんですよ。だったら趣味の範囲で研究したいと思った。

じゃあ、いったん就職しとくか、となったんですけど、研究活動も、あわよくば社会人になっても続けられたらいいなと思ってました。

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ーNTTデータに新卒で入って3年いたんですよね。ものを作って、自由に自分の世界でやりたいと思っていた中川さんにとっては、どうだったんですか。

中川: いわゆる大企業と呼ばれる会社の人たちは、こういう働き方なのかと知ることができたのはよかった。僕の仕事のベースを作ってくれたのもその会社だった。研修の環境も整っていたし勉強にはなった。

あと「土日だけで研究はできない」というのもこのとき学びました(苦笑)。本業として研究しないと集中するべきときにエネルギーが発揮されない。土日だけだと、前の週に何を考えてたかとか、思い出せなくて。

ーそのときに「もう1回大学院(博士課程)行こうかな」って思った?

中川: 思ったこともありましたね。

ーなぜ行かなかったんですか。

中川:やっぱり「日本で博士取るのってシンドイ」「海外とかで博士を取るのと、また違うのかな」という思いがあり。

ー日本と海外、どう違う?

中川:日本の大学はドクターを育て上げる体制が海外と比べて弱い。博士課程行くなら海外行きたいな、と思って。そのうち、ベンチャーも面白いなという気持ちも出てきた。社会人3年目のときにベンチャーで副業してたんですよ。

自分の年齢を踏まえて「ベンチャーで走り切る」のと「研究者をやり切る」のを20代でやるならどっちが面白いかな?と考えたとき、海外だと、30半ばで大学院に入る人たちもいるよな、と。なので、ベンチャーにいこうと決めて、27歳のときにABEJAに転職しました。

ーなぜABEJAに?

中川:転職先を選ぶときにノートにこういう基準を書き出したんですけど。
1. 1を80にする仕事はできるか
2. よい仲間はいるか
3. ゴールを共感できる事業内容か

「芽が出たばかりの事業をよくしていく仕事ができる面白さがあるか」と「人が面白いか」だった。

ー「人が面白い」っていうのはどんな面白さ?

中川:自分が過ごした高校・大学時代のコミュニティーが大好きだった。高いレベルの理論で殴り合うというか、知的なケンカを毎日する世界だった。それが一番できそうだと思ったのが、ABEJAだったっていう感じです。

ー「知的なケンカできそう」って誰を見て思った?

中川: 面接で会った人たち。最初の面接をしてくれた人には「中川さんってたぶんこういう人だよね」とすぐ言い当てられて。この人、地頭いいんだろうなと。今思えば、自分のレジュメやSNSを見て仮説立てていたんだろうけど。

次の面接が、当時の開発のマネージャー。その人と「このサービスって今後こうなっていくだろうね」「世の中こう変わっていくんじゃないの」「技術ってこれからどう進化していくんだろうね」みたいなことを、1時間かけて議論した。面接なんだけど、未来を見すえて「じゃあ、どうしよう」みたいな話ができて嬉しかった。ほかの企業は、そういう話には全然食いついてこなかったから。

ーノリがよかったんですね。
中川: そう。技術に対するノリ。

副業のバイトで気づいた自分の強み

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ーすごい才能に囲まれて「心が折れた」経験を聞いてきたけど、その後、中川さんの「強み」は見つけられた?

中川:ゼロイチでは勝てないけれど、「芽が出始めたもの」を育てていくところはイケるんじゃないか?という仮説は修士のころからなんとなく抱いてました。

きっかけは社会人3年目にやっていたエンジニアのアルバイトで「論文を読んでそれを実装して」という仕事を受けたこと。プロダクトの特性もあるので、そのまま実装してもあんまり精度が上がらない。どう工夫して精度を上げるか、という課題があった。

2000年から2010年ぐらいの研究論文をバーッと読んで、学生時代の教科書も引っぱりだして、「ここら辺をうまく組み合わせればいけそうだな」と思って、実装してみたら思ったよりいい結果が出た。CEOに見てもらったら「やりたいことがちゃんと実現できてる」とほめてもらえた。このとき初めて仮説でなくて「こういう役割なら、自分も戦えるかも」と実感できた。

ー自己肯定感得られたんですね。

中川:結局は、悔しさだったんですけど。さっき言った「自主プロ」で全然うまく結果出なかったときとか、学部時代にパッとしなかった同級生が修士でぐっと伸びて結果を出したりするのを見て、自分は何が足りなかったんだろうってずっと考えてた。忙しい生活だったけど死ぬ気で打ち込んでたかっていうと、そうでもなくて。そこがやっぱりすごい悔しくて。

ーでもそこに成功体験が重なって、できることがカチッてはまった。

「ゼロイチ」も「ジェネラリスト」も輝けるように

ー自分の経験を振り返ってみて、若い子はどこで立往生しがちだと?

中川:やっぱりかつての僕と同じような気持ちを持っている子はいます。何かを極めたりゼロイチで何かを生み出したりするより、ものを理解して実装する方が上手な子は多いんですよ、東大って。そういう環境で「何ができるか自信が持てなくてキャリアに悩む」という話を面接でよく聞きます。

ー「ゼロイチ神話」ってありますよね。ゼロイチカッコイイ、みたいな。

中川:学生はそう思い込むんですよ。自分も「ゼロイチを生み出せない自分は駄目やな」と思ってたんで。

ーでも、ゼロイチを大きく育ててくれる役割の人がいないと、イチまではいけてもその後すぼむのはよくある。

中川:たしかにそういう人がいなくて埋もれちゃった研究、たくさんあると思います。技術の進歩って、いろんな分野を組み合わせて花開くというところがある。僕みたいな人間はいろんな分野を薄く広く知っていて、そこから種みたいなのを、バランスよくプロダクトに組み込んでいく役割なんだと思ってます。だからゼロイチじゃない人たちも、活躍の場は絶対ある。

あと皮肉なんですけど、社会人になると、そつなくこなす「ジェネラリスト」が優遇される文化がまだ根強いと思う。大学時代、「ゼロイチ」の才能がすごかった同級生が「生きづらい」と漏らすこともある。

ー学生時代、まぶしいくらい才能があふれていた同級生が、今はゼロイチの能力が発揮できないもどかしさを感じているとは。

中川:生きづらいと感じる人たちが活躍できる場を作らないといけない、とよく話してます。ゼロから生み出せる子が大学院にはいっぱいいる。でもそこで博士号とっても日本ではあまり意味をなさない。Googleは、もともと創業者の院生時代の研究テーマを起業して実践したら、あそこまででかくなった。あんな事例が日本にないのは寂しい。

その子たちの持っているものをちゃんとプロダクトにしたり、橋渡したりしたい。だからウチ(ABEJA)もインターンいっぱい受け入れたいね、という話をよくします。「学生に足りてないのは成功体験だ」と。自分の研究がそのまま実装されて、お客さんが喜ぶとか、世の中がよくなるみたいな成功体験。

ー中川さんが実際に体験したようなことですよね?

中川:それがすごい大切。だからこそ、「ジェネラリスト」側でそういうのをやってもいいし。「ゼロイチ」の人たちも、「自分らの種ってこうやって花開いていくんだね」みたいな過程を見られると、それはひとつの自信になる。より突き詰めていっていいんだなって自己肯定感に繋がっていくと思います。

聞き手・文:錦光山雅子  写真:川しまゆうこ  編集:川崎絵美 

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なかがわ・ゆうた=1989年生まれ。東京大学工学部卒業、同大学院情報理工学修了。卒業後はNTTデータに入社,法人向けのシステム開発技術支援部隊に所属、主に製造業向け基幹システムのインフラ設計・構築に従事。全社共通基盤を設計・構築する。その傍ら、AIベンチャーでAI英会話アプリの発音評価エンジンの研究・開発にも従事。100ヶ国を超える国で使われるアプリに成長。2017年株式会社ABEJAに入社。ABEJA Insight for Retailから ABEJA Platform、研究開発まで幅広く担当。現在は Insight for Retail 研究チームのリーダーとして、研究成果のプロダクト適用にもがく日々。


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Torus(トーラス)は、AIの社会実装を手がける、株式会社ABEJA(アベジャ)のオウンドメディアです。「テクノロジー化する時代に、あえて人をみる」というコンセプトで、人間らしさと向き合う物語を紡いでいきます。

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